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この日の様子は杵君の記事をご覧いただくとして、ここでは肥前春日流における試斬稽古のあり方についてお話をさせていただきます。
そもそも、なぜ「ペットボトル」試斬なのか。
試斬稽古といえば、一般的なイメージは「巻藁斬り」ではないでしょうか。
巻藁、と言っても実際には、古い畳表を巻いて水に浸したものがもっとも多く使われています。
一畳分の畳表を斬れれば人の腕一本を両断できる技量、などと言われたりもしますが――
しかし、巻藁は、斬り損じると刃毀れや刀身を曲げてしまう恐れもあります。
技術の練成が進んでいない門弟にとって、これはかなり厄介な事。 また、巻藁の準備にはそれなりの手間と場所を必要としてしまうため常設道場を有しない当流派にとっては準備においてもかなりの苦労を強いられてしまいます。
こういった経緯もあり、
ペットボトルを使った試斬稽古を宗家が考案し、実行に移したのが2008年の事。
水を満たしたペットボトルは、刃が衝突する瞬間に程よい弾力を発揮し、日本刀で切断するのにちょうど良い硬さになります。
刀身に若干のヒケが入ることはありますが、刃毀れを起こしたり刀身を曲げたりする危険はほぼ無し。
初心者の練習台としては、実に扱いやすいのです。
また、試斬稽古において最も重要なポイントは、刃筋の確認です。
刃筋とは、刀の峰と刃の頂点を結んだ直線のことですが、この刃筋と斬撃の進行角度が一致しないと、刀は切断力を発揮できません。
試斬稽古では、斬った物の切断面でこの刃筋を確認をします。
畳表が便利なのは、この確認が行いやすいからなのですが、では、ペットボトルではどうなるのか。
斜めにまっすぐ切断された斬り口。
袈裟斬りで、まっすぐに刃筋が立っていた証左です。
これは、刃筋が歪んでしまったものです。
十分な切断力を発揮できないまま、衝撃でペットボトルが千切れてしまっています。
刃筋がまったく立たなかったもの。
刃筋が立たないまま力任せに刀を叩き付けた結果、内圧でペットボトルの底が膨らんでしまっています。
刃筋が立たなければ、日本刀と言えどもペットボトルすら両断できない。
稽古者の未熟がはっきり表れた結果です。
逆袈裟斬り二連撃を入れたもの。
基本的には一度斬ることで水の逃げ道ができてしまったペットボトルはかなり斬りにくくなるのですが、ある程度の熟練度があれば2Lのペットボトルなら二刀目を入れることもできます。
このように、ペットボトルの切断面も畳表に負けず劣らず、表情豊かに稽古者の刃筋を反映してくれるのです。
もちろん、いつまでもペットボトルばかり斬っていては上達できません。
いずれは、巻藁を使った試斬に移行していくべきでしょう。
だからこそまずは、容易に準備ができ、刀を傷める心配も少なく、後処理も簡単――
それゆえにのびのびと数稽古をこなすことが出来るペットボトル斬りを、私たちは試斬稽古の入門編として採用しているのです。
そして、試斬を通して学ぶべきことは何か。
それは、
大切なのは、「斬る」という経験の中から、
剣術の――ひいては、武術の要素を如何に感得するか、です。
肥前春日流の稽古プロセスは、
種々の体錬に始まり、柔術から杖術を経て剣術に至ります。
つまり肥前春日流に於いて剣術は、あくまで体錬の延長線上にあるものであり、剣を以て得た気づきもまた、体錬へと回帰していくべきものとなります。
・体錬で、身体の据わりは得られていたか。
・柔術で培った斬手は、真剣を手にしてなお再現できたか。
・杖術が導いてくれた、自身と武器の同調はうまくいっているか。
・真剣を手にしたプレッシャーに振り回されて、心が上擦っていないか。
素直に刃筋となって現れるその結果を真摯に受け止め、次の稽古へと繋げて行く。
そのためにこそ、試斬稽古はあるのです。
物を斬ることは確かに爽快ですが、ただ斬って楽しむだけでは意味がありません。
自身の修行の進み具合を確かめ、体錬の重要性を再認識し、また、真剣を振るうことによって、「武術」の何たるか、その恐ろしさと、それゆえに自らの心身を強く律する必要があると言うことを再認識できてこそ、試斬稽古の価値があります。
今年から導入された特製試斬台の恩恵もあって、試斬はますます行いやすくなりました。
これからは少し頻度を上げていくことも可能になるでしょう。
これで、門弟一同の稽古がより深まることを願っています。
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