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今回は参加者が多く、賑やかな回となりました。
思い思いの場所に陣取り、自分の決めたテーマに沿って稽古を行うのが月例会スタイル。
指導者からの号令はなく、各自質問があるときや練習相手が必要なときは、
任意にコミュニケーションを取りながら、お互いのペースを尊重しつつ稽古を進めていきます。
私が主宰を勤める西成支部衛楓館道場の門弟も、
月例会の日は本部稽古に参加させていただいています。
普段とは違う相手と稽古できる貴重なチャンスということもあり、熱心に取り組んでくれて何より。
今回は、師範代より直々の手ほどきをいただきました。
理論と技術偏重になりがちな私の指導と違い、
身体感覚とイメージの取り方に軸をおく師範代からの教授は、門弟にとっても新鮮だったでしょう。
師範代が支部の門弟と、私が本部の門弟と、それぞれ対になって稽古する一幕。
ちょっとした交流稽古の体になっているのが面白かったです。
ほどよく稽古をこなした後は、葛女史による定番のお茶タイム。
ここ最近は、ただお茶を点てるだけではなく、会話の運びや場の作り方も随分と熟れてきたようで、美味しく楽しいひとときを過ごさせて貰いました。
次回の月例会も、また賑やかに充実した時間にしたいものです。
8月23日、門弟M君の申し出により、三度目のモーションキャプチャー撮影が行われました。
検証技法は、肥前春日流の基本操体である「練」のうち「櫓練」と「巻練」、柔術基本技法である「一之波」と「挙げ崩し」の4本。
今回は、M君の修士論文作成のための予行演習を兼ねており、「比較」がテーマの軸となっています。
最初の検証は、稽古錬度による比較。
杖を持って一人で行う基本操法「櫓練」を、宗家と、3人の門弟でそれぞれ比較してみます。
実際の測定数値を表示できないのが残念ですが、その差は明確でした。
宗家の「櫓練」は、体重移動が非常に滑らかで、前後の足の地面反力もなだらかに推移していました。さらに特徴的だったのは、体の各部位と杖の両端につけたポインターの描く軌跡が、非常に美しい円を描きながら同調していた点。
対して、比較対象となった葎・葛女史・杵君の門弟3名はいずれも、宗家とは段違いの歪な測定結果になってしまいました。
皆一様に、体重が移動する過程で重心を示す数値が急激に上下しており、これは脚部のリキみが抜けていないことを表しています。
また、各部位のポインターも単純で直線的な前後運動となっていて、円転の動きを作り出せていない事が明らかになってしまいました。
と、突きつけられた現実は非常に苦いものでしたが、面白かったのは、3人の差異。それぞれが宗家には遠く及ばないながらも、稽古歴が長いものほど、少しずつ宗家の動きに似た測定結果が出ていたのです。
皆伝への道のりは遠くとも、積み重ねた稽古は必ず上達へとつながる――真剣に稽古に取り組む大切さを、科学が教えてくれたように思います。
続いての検証は、筋力による瞬発的運動と、肥前春日流技法による効き目の比較。
これは、基本操法である「巻練」と、
柔術 「一之波」
「上げ崩し」
を、掛ける側ではなく受ける側の変化を測定することで、作用の質を比べてみよう、と言うことになりました。
いずれも、私が被検体となり、宗家と杵君の業を受けます。さらに、杵君にはただ力任せの動きと、肥前春日流の技法による動きの2パターンを実施してもらいます。
これにより、宗家:門弟の錬度比較と、業:力任せの比較を行ってみよう、という狙いでした。
さて、その結果ですが……
なんとも、表現の難しい測定結果になってしまいました。
確かに、測定結果そのものに違いは現れていますし、業を掛けられたときの感覚もまったく違います。で、ありながら……自身の感覚と、測定結果がうまく一致しない。
肥前春日流の稽古では、力のぶつかりを生まないことが大事だとされます。
柔術であれば、業を掛ける側は組んだ相手が「居ないかのように」動くことを良しとし、受ける側は支えどころが無いままに体のバランスを失ってしまう――そんな境地を目指して稽古をします。
宗家の業を受けたとき、私はまさにそのような感覚になっているのですが、これをモーションキャプチャーで測定した実際の波形と並べて説明しようとすると、いささか混乱が生じてしまうのです。
このあたりは、私がどうこう論じるよりも、研究者であるM君がいずれ上手くまとめてくれることに期待をすることにしましょう。
ともあれ、3回目の測定となるモーションキャプチャー、今回も興味深く楽しく取り組ませていただきました。
M君の研究に貢献させてもらうのはもちろんの事、稽古へのフィードバックや教本作りにも活かせていければ理想だと思っています。
余談ですが、今回の測定方針を決めるに当たり、事前にはちょっとした議論がありました。
肥前春日流の妙味とは?
技法の成立過程と社会的・歴史的背景との相関性は?
現代のスポーツと肥前春日流の違いとは? 或いは共通性とは?
いろいろと論を交わす中で、宗家から興味深いお話をいくつもお聞きすることができました。
そのあたりについては、次回の記事で少し触れてみることにしましょう。
この日の様子は杵君の記事をご覧いただくとして、ここでは肥前春日流における試斬稽古のあり方についてお話をさせていただきます。
そもそも、なぜ「ペットボトル」試斬なのか。
試斬稽古といえば、一般的なイメージは「巻藁斬り」ではないでしょうか。
巻藁、と言っても実際には、古い畳表を巻いて水に浸したものがもっとも多く使われています。
一畳分の畳表を斬れれば人の腕一本を両断できる技量、などと言われたりもしますが――
しかし、巻藁は、斬り損じると刃毀れや刀身を曲げてしまう恐れもあります。
技術の練成が進んでいない門弟にとって、これはかなり厄介な事。 また、巻藁の準備にはそれなりの手間と場所を必要としてしまうため常設道場を有しない当流派にとっては準備においてもかなりの苦労を強いられてしまいます。
こういった経緯もあり、
ペットボトルを使った試斬稽古を宗家が考案し、実行に移したのが2008年の事。
水を満たしたペットボトルは、刃が衝突する瞬間に程よい弾力を発揮し、日本刀で切断するのにちょうど良い硬さになります。
刀身に若干のヒケが入ることはありますが、刃毀れを起こしたり刀身を曲げたりする危険はほぼ無し。
初心者の練習台としては、実に扱いやすいのです。
また、試斬稽古において最も重要なポイントは、刃筋の確認です。
刃筋とは、刀の峰と刃の頂点を結んだ直線のことですが、この刃筋と斬撃の進行角度が一致しないと、刀は切断力を発揮できません。
試斬稽古では、斬った物の切断面でこの刃筋を確認をします。
畳表が便利なのは、この確認が行いやすいからなのですが、では、ペットボトルではどうなるのか。
斜めにまっすぐ切断された斬り口。
袈裟斬りで、まっすぐに刃筋が立っていた証左です。
これは、刃筋が歪んでしまったものです。
十分な切断力を発揮できないまま、衝撃でペットボトルが千切れてしまっています。
刃筋がまったく立たなかったもの。
刃筋が立たないまま力任せに刀を叩き付けた結果、内圧でペットボトルの底が膨らんでしまっています。
刃筋が立たなければ、日本刀と言えどもペットボトルすら両断できない。
稽古者の未熟がはっきり表れた結果です。
逆袈裟斬り二連撃を入れたもの。
基本的には一度斬ることで水の逃げ道ができてしまったペットボトルはかなり斬りにくくなるのですが、ある程度の熟練度があれば2Lのペットボトルなら二刀目を入れることもできます。
このように、ペットボトルの切断面も畳表に負けず劣らず、表情豊かに稽古者の刃筋を反映してくれるのです。
もちろん、いつまでもペットボトルばかり斬っていては上達できません。
いずれは、巻藁を使った試斬に移行していくべきでしょう。
だからこそまずは、容易に準備ができ、刀を傷める心配も少なく、後処理も簡単――
それゆえにのびのびと数稽古をこなすことが出来るペットボトル斬りを、私たちは試斬稽古の入門編として採用しているのです。
そして、試斬を通して学ぶべきことは何か。
それは、
大切なのは、「斬る」という経験の中から、
剣術の――ひいては、武術の要素を如何に感得するか、です。
肥前春日流の稽古プロセスは、
種々の体錬に始まり、柔術から杖術を経て剣術に至ります。
つまり肥前春日流に於いて剣術は、あくまで体錬の延長線上にあるものであり、剣を以て得た気づきもまた、体錬へと回帰していくべきものとなります。
・体錬で、身体の据わりは得られていたか。
・柔術で培った斬手は、真剣を手にしてなお再現できたか。
・杖術が導いてくれた、自身と武器の同調はうまくいっているか。
・真剣を手にしたプレッシャーに振り回されて、心が上擦っていないか。
素直に刃筋となって現れるその結果を真摯に受け止め、次の稽古へと繋げて行く。
そのためにこそ、試斬稽古はあるのです。
物を斬ることは確かに爽快ですが、ただ斬って楽しむだけでは意味がありません。
自身の修行の進み具合を確かめ、体錬の重要性を再認識し、また、真剣を振るうことによって、「武術」の何たるか、その恐ろしさと、それゆえに自らの心身を強く律する必要があると言うことを再認識できてこそ、試斬稽古の価値があります。
今年から導入された特製試斬台の恩恵もあって、試斬はますます行いやすくなりました。
これからは少し頻度を上げていくことも可能になるでしょう。
これで、門弟一同の稽古がより深まることを願っています。
2月9日、M君より申し出があり、再びモーションキャプチャーの撮影に行ってきました。
今回のテーマは、肥前春日流の身体操作の根幹となる「礎之型」「練」「歩法」の計測です。
「礎之型」は、C女史が担当します。
上の写真ではただ単純に両腕を上げているだけに見える動きですが、モーションキャプチャーでは
肩甲骨が中央に寄り、肋骨部分が大きく引き上げられています。
また、いわゆる伸脚のように見えるこの動きも、体軸が真下へ降下していく様や胴体部への負荷のかかり方などがデータとして表れていました。
門下生の中で、最も基礎に忠実との評があるC女史の「礎之型」。
その要訣となる動きが、モーションキャプチャーによってはっきりと示されました。
続いては、「練」。
写真は「練」三動作の内の「櫓練」で、C女史を「受け」として、宗家の動作を計測しています。
肥前春日流のもっとも大きな特徴のひとつは、力のぶつかりを生まずに、ゆらりと対手を崩して極める技法。
この計測では、その一端が垣間見えるような結果が出ました。
重心や床からの反力が、規則的でなだらかな波形を描いていたのです。
「練」は、修行が浅いと、どうしてもただのリキんだ押し合いになってしまうもの。
実際、この後に私も計測をさせてもらったのですが、私の波形はムラが大きく、宗家のそれとは似ても似つかない乱雑なものでした。
普段の稽古と違い、科学的に未熟さを突きつけられてしまうのは、なかなか衝撃的な経験です。
最後は、「歩法」。
こちらは、動作の計測にやや苦心し、満足のいくデータは採取できない結果に終わってしまい、次回の計測に向けての計画や改善点の整理がメインとなりました。
ただ、そんな中でもM君いわく、日常的な歩行や、一般的なスポーツの歩き方・走り方とはまったく趣の違う計測結果にはなっていたようです。
今回も、M君のおかげで非常に楽しく興味深い時間となりました。
データそのものを公開することはできませんが、このデータを活用して、より質の高い稽古が行えるようになっていくのではないか、と期待しています。
- 葎 -